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創作の理想化された異性・制作者の性別と類型化されたヒロイン像…芸能やアイドルも…??

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以下の話題からの続きです。

マンガ、絵やアニメ、小説が現実の上を行く理由がよく分かった気がする。そうなると、作り手の性別と描かれる性別も関係してそう。というか、自分が書く小説を考えても、女性は(わざと)理想化して書いている気がする。
映画の中の理想の少女像と現実の女の子「宮崎駿は激怒してインタビューは打ち切りになったとか。」 - ナカノちゃんねる


いけるしかばね 2013/08/08 [01:50]

しかし宮台は肝心なところで何が言いたいのかよくわからん気がするね。

確かに理想化されてるってことなんだろうと思う。
男性から見た女性と女性から見た女性で理想的なイメージがずれるということも、まあ言えるだろう。

しかしもうちょっと、単に男性と女性で理想とするイメージがずれているということ以上に、なにか突っ込めるような気がする。

雫ちゃんの「創作への無垢な信頼」とか、真琴のようなぎりぎり距離をとって接触を続ける距離感とか、
こういう情熱や機微はまず少年漫画の主題にはならないものだろうと思う。
すごい単純な、それこそ幼稚園児がチャンバラとおままごとをするようなレベルで、男の子はバトル、女の子は心理劇、という具合に分類されてしまっているわけだ。

ただもちろん幼稚園児ではないので、かなりの女の子が少年漫画を読むし、男の子が少女漫画を読んでもいい。

多分こういうあたり「名義としての男の子」「名義としての女の子」みたいなことがあるんじゃないかと思う。

つまり、実際には女の子の読者もかなりいるにもかかわらず「少年漫画」と称するところに、想定読者とは異なるなんらかの想像上の「男の子」がいる。逆もそう。

ややほどいた言い方をすると、「〈少年〉らしい感じ方」みたいなものを、きっと少年漫画関係者は考えているのではないかと思う。

これは市場の形成とも相まって、おそらく作品の分類というか、ストーリー/主人公の類型みたいなものになっていると思う。


さてだいぶ迂回したけど、「男性から見た」「女性から見た」という制作者の実際の性別のほかに、こういう「どの類型か」ということもありそうに思う。

この類型によって、実際の女の子から遠い/近いと感じたりとか。
どの類型を選びそうかということは、たぶん制作者の性別とある程度相関がある。

その類型は列挙できないので、「そりゃ何らかの類型性はあるよね」くらいの話にしかならないんだけど。

結局この類型がどうのという話は、例えば類型を限りなく細かく分けていくと、結局作者によってイメージする女の子が違うということにしかならないんだけども。


ナカノ実験室 2013/08/08 [11:08]

昨今の少年マンガは、女の子も読む事が前提になっている感じがする。実際にジャンプの『トリコ』とかで、ヒロイン不在状態が女の子に需要があるのかは分からんですが。

そうありながら、りぼん、マーガレットなどは(ほとんど読まないですが)、「女の子が読む」というイメージを保ち続けているのは不思議なモノです。実際に、読んでいる人はいるでしょうが。

ジブリ作品で考えると、少女漫画原作の映画は結構あるので、むしろ「少女像」も、少女漫画の傾向にあるのかも。「耳をすませば」は、マンガでの連載は、そんなに人気はなかったそうですが、宮崎駿監督が偶然読んで気に入って、映画化されたそうなので、妙なモノです。世間の人気とかと関係なく、届く人には届くというダイナミックな例でしょうか。


創作の「男性から見た」「女性から見た」と言う観点で、芸能人、特に『アイドル』を考えてみれば面白い気がしました。女性から見た女性を知りながら、『アイドル像』を演じるか、演じないままか…。

演じている状態も、この世に存在するなら、演じ続ければ、それは真実になる訳で、この世界にも理想化された「女の子」はいるのじゃないか?と思えてきました。

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